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【画像】王林の彼氏・RYOJI(杉山亮司)の学生時代が波乱万丈過ぎた!

【画像】王林の彼氏・りょうじ(杉山亮司)の学生時代が波乱万丈過ぎた!

王林さんの熱愛報道(2023.12.7)で注目の彼氏・りょうじさん。

表記は“RYOUJI”で、別名義は本名でもある杉山亮司さんという方です。

そんなRYOJIさんのについてリサーチしたところ、

学生時代のエピソードが波乱万丈過ぎたので、

ご家族の情報も交えながら、時系列でお伝えしていこうと思います!

RYOJIのプロフィール

WHHのRYOJJI

RYOJIさんのプロフィールを紹介します。

  • 名前:RYOJI(りょうじ)
  • 本名:杉山 亮司
  • 生年月日:1996年5月15日(2023年12月現在、27歳
  • 出身地:埼玉県日高市
  • 身長:177cm
  • 血液型:A型
  • 家族:母、姉、弟
  • 所属グループ:WOLF HOWL HARMONY(ウルフ ハウル ハーモニー)
  • 所属事務所:LDH

RYOJIさん所属のグループ「WOLF HOWL HARMONY」(WHH)は、ダンス&ボーカルグループです。

WHHは4.8万人が参加したLDH史上最大規模のオーディション、『iCON Z』から誕生し、

2023年8月にデビューしました。

RYOJIさんはボーカルとリーダーを務めています。

メンバーは以下の4人です。
↓↓↓

  • RYOJI
  • SUZUKI
  • GHEE
  • HIROTO
WOLF HOWL HARMONY左から、SUZUKI、HIROTO、GHEE、RYOJI

 

ちなみに、RYOJIさんは杉山亮司の名義で、6人組グループ「DEEP SQUAD」のメンバーでもあります。

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RYOJIの家族について

RYOJIの子供の頃と母親・淳子さん

RYOJIさんのご家族は現在、母親の淳子さんお姉さん

そしてRYOJIさんと10歳離れた弟さんがいらっしゃいます。

RYOJIさんの父親、杉山和弘さん肝臓の病気を患い、2022年の夏に50歳で亡くなっています。

RYOJIの父親、

また、RYOJIさんのご両親は離婚されていて、RYOJIさんは母子家庭という環境で育ちました。

そのため、弟さんの幼稚園のお迎えはRYOJIさんが行くこともあったようです。

ちなみに当時の住まいは団地だったようです。

RYOJIはサッカー少年だった

RYOJI、サッカー、子供時代

RYOJIさんは幼い頃、サッカーが大好きな“サッカー少年”でした。

サッカーは幼稚園の頃から習い始め、小学生の頃にはキャプテンを務めるなど、とても活躍していました。

そんなRYOJIさんは、クラブチーム「坂戸ディプロマッツ」の入門試験に合格し、

チームの1軍で活躍していました。

RYOJIの幼少期について

坂戸ディプロマッツ

幼い頃からサッカーで才能を見せていたRYOJIさん。

母親の淳子さんが語るRYOJIさんの幼少期は、

「すごくのんびりしていて、よく寝る子だった。でも起きている時は活発な子だった」と。

そんなRYOJIさんは、周りの人を引っ張っていくタイプだそうです。

このリーダー気質が現在の活躍にも結びついていそうですね。

RYOJIの子供の頃の夢

サッカー少年だったRYOJIさんには、「プロになってみたい」という夢がありましたが、

それとは別に「消防士になりたい」という夢もありました。

理由は、幼稚園などで実際に消防士さんに会った時に「かっこいいな」と思ったことや、

当時の仮面ライダーや、〇〇レンジャーなどのヒーロー的なものに憧れていたからだそうです。

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RYOJIの中学時代

RYOJI、サッカー、キャプテン

サッカーのクラブチームで活躍していたRYOJIさんですが、

実は中学1年生の時にサッカーを辞めています。

なぜ大好きだったサッカーを辞めてしまったのでしょうか。

実は、サッカーの夏合宿のある日

本田圭佑さんなどの“目立つ選手”に憧れていたRYOJIさんが“金髪”にして行ったところ、

監督に注意されたうえに、2軍に落とされてしまったのです。

この出来事がきっかけでプライドをへし折られたRYOJIさんは、

その挫折感からサッカーを辞めてしまったのです。

しかし、サッカーを辞めてしまった理由はもう一つありました。

その当時、RYOJIさんが一緒に遊ぶようになった先輩たちは、少しヤンチャなタイプでした。

サッカー漬けだったRYOJIさんはその先輩たちを見ていると、

“自由でいいな”と思ったこともサッカーを辞めた理由の1つのようです。

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RYOJIの中学時代の恩師

RYOJI、恩師のあらい先生について語る

サッカーへの情熱が無くなってしまったRYOJIさんは、

給食の時間以外は中学校に行かなくなっていました。

しかし体育祭は毎年楽しく参加していました。

また、“スギちゃん”の愛称で呼ばれていたり、

“たまに来る杉山”という異名を持っていたRYOJIさんに対し、

多くの友達がウェルカムな優しい雰囲気で接してくれたことがきっかけとなり、

次第に「学校、楽しいな」と思い始めたそうです。

もともと中学卒業後は就職を考えていたRYOJIさん。

いつしか高校進学に興味を持ち始め、

母親からも「やってみればいいじゃん!」との後押しもあり、

それまでの勉強の遅れを取り戻すべく毎日猛勉強をし始めます。

そしてその猛勉強に付き合ってくれたのが、恩師の“あらい りゅういち”先生という方。

あらい先生に対してRYOJIさんは「すごく迷惑をかけて世話を焼かせてしまった」と言います。

また、あらい先生の人柄については「すごく熱くて男らしい先生」という印象があるようで、

実際、あらい先生は学校に来ないRYOJIさんのために家まで出向き、毎日勉強を教えてくれていたそうです。

そのため、あらい りゅういち先生はRYOJIさんにとって恩師なんですね。

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RYOJIの高校時代

高校卒業時のRYOJI

高校受験のための勉強はRYOUJIさんにとって、

「人生であんなに勉強したことないくらい勉強した」というものでした。

しかしその努力の甲斐あって、なんとか無事に高校進学を果たしたRYOJIさん

高校生活を送る中で、RYOJIさんが“面白いな”と思った事があったようです。

それは、中学時代に毎日学校に行っていた子がどんどん辞めていったこと。

RYOJIさんはそんな友達に対して「もったいないな」「寂しいな」と思うと同時に、

「自分は絶対に卒業してやろう!」という強い決意があったそうです。

RYOJIはピザーラでバイトしていた

高校生になり原付バイクの免許を取得したRYOJIさんは、

ピザーラの配達員のアルバイトをしていました。

“外で動きたい、働きたいタイプ”だったRYOJIさんは、このバイトでの配達や接客が楽しく

高校生活で経験したバイトの中で一番長く続けていたそうです。

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RYOJIはペンキ職人だった

RYOJI、ペンキ職人時代

無事に高校を卒業したRYOJIさんは、ペンキ職人になりました。

RYOJIさんはなぜペンキ職人の道を選んだのでしょうか。

そこには7つの理由がありました。

  1. 父親がもともとペンキ職人だった
  2. 「自分で何かをしたい」と思っていた
  3. 先輩と現場に行ったあとは「自分で考えて行動する」という自由さがあったから
  4. 外でやる仕事が好きだった
  5. 力仕事が得意だった
  6. 兄貴肌な職人さんが好きだった
  7. ペンキ会社に幼なじみがいた

以上のような理由から、ペンキ職人になろうと思ったようです。

そして、ペンキ職人としてのRYOJIさんの仕事内容はというと、

家の劣化による亀裂部分を部分を埋めたり、家の塗り替えをしたり、

屋根の塗り替えや、ベランダの防水のための塗替えなどをされていました。

RYOJIさんが勤めていた会社の現在の社長はRYOJIさんの幼なじみだそうで、

一緒に働いていた当時はRYOJIさんの仕事ぶりを褒めてくれていたそうです。

なので、RYOJIさん一人で現場に行ったり、後輩を連れて仕事をしたりということもあったようです。

RYOJIがペンキ職人になって得た意外な特技

RYOJIさんがペンキ職人になって得た特技があります。

それは、

掃除道具のコロコロを使った掃除がめちゃくちゃ速くキレイにできるようになった、ということ。

ペンキローラーと同型のコロコロの扱い(手さばき)が、

みんなと違って「なにそのやり方!(笑)」と言われるそうですw

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まとめ

王林さんと熱愛報道のあったRYOJI(りょうじ)さんの学生時代についてまとめてきました。

幼稚園から中学1年までの長きにわたるサッカー人生を、

若気の至りとも言うべき「金髪にしてみた」ことがきっかけで辞め、

中学では不登校になってみたものの高校受験に向けて猛勉強をし、

強い意思をもって高校を無事卒業。

現在のアーティスト活動からは想像しづらい「ペンキ職人」として働いていたという経歴をもつRYOUJIさん。

なかなか波乱万丈な学生時代を送っていたと思います。

人生なにが起きるかわかりませんね!

それでは、ここまでご覧いただきありがとうございました。

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