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【顔画像】矢田わか子の息子の名前は?異色の生い立ちと教育で育っていた!

【顔画像】矢田わか子の息子の名前は?異色の生い立ちと教育で育っていた!

矢田わか子さんには一人息子がいらっしゃいます。

この記事では、そんな矢田わか子さんの息子さんの生い立ちを始め、息子さんに関するプロフィールの紹介

また、矢田わか子さんが息子さんに対して行ってきた教育方針についてまとめてみました。

矢田わか子の息子の名前は?

矢田わか子の息子の成人祝い、2022.4.2矢田わか子さんには息子さんが1人いらっしゃいます。

その息子さんのお名前ですが、「けいたろう」さんとおっしゃるようです。

以下の矢田わか子さんのインスタグラムの投稿から判明しました。
↓↓↓

矢田わか子の息子の名前は「けいたろう」矢田わか子さんのInstagramより引用

しかし、苗字については今のところ不明です。

なぜ苗字が不明なのかというと、

矢田わか子さんと夫(けいたろうさんの父親)は「夫婦別姓」であるため、

父親の姓について今のところ不明だからです。

矢田わか子の息子の生い立ち(プロフィール)

息子を出産後の矢田わか子出産後間もない頃の矢田わか子さんと、息子さん

矢田わか子さんが息子さんを産んだのは36歳の頃、2002年でした。

もともと、矢田わか子さんと夫は事実婚のため「夫婦別姓」の生活を送っていました。

そういった背景がある中で、実は矢田わか子さんの「妊娠→出産→産後の育児」というのは、人で乗り切るしかない状況にありました。

…というのは、そのころ夫はアメリカに単身赴任中で、

実母や妹はというと、当時末期ガンだった父親の看病にかかりっきりだったからです。

そのため、育児をする上での家庭環境(ワンオペになること)を鑑み、矢田わか子さんは出産以前に夫と話し合った結果、

“息子の姓は「矢田」にした方が良いだろう”、という結論になったそうです。

そこで矢田わか子さんは、近所の方から子育てのサポートを受けるべく、名刺を持って挨拶まわりをしたそうです。

そういった経緯もあり、息子さんは出生後、「矢田」の姓で暮らしていました。

矢田わか子と2歳頃の息子矢田わか子さんと、2歳頃の息子さん

ところが、息子さんは6歳の時、小学校に入るタイミングで夫(父親)の姓に変更をしています。

…一体なぜなのか?

その理由について矢田わか子さんは次のように語っています。

夫は三男で、お兄さん2人の子どもは女の子だったこともあり、もし男の子が生まれたら夫の姓にしてほしいという話がもともとありました。じゃあ女の子だったら私の姓ね、みたいな話をしていました。

引用元:東京すくすく

そのため、夫の姓を名乗る息子さんと、母親である矢田わか子さんは、

“別の姓を名乗る親子”として、これまでの人生を歩んできました。

矢田わか子と、息子の8歳の誕生日息子さんの8歳の誕生日

ちなみに、矢田わか子さんが子育てをしていた地域は、大阪府寝屋川市です。

当時、親子別姓で子育て”をしていると役所の手続きなどで、

よく“保護者ではない”と認識され、困ることが多々あったようです。

一方で、産後に利用していた保育園の先生は何かと融通を利かせてくれる方だったため、

矢田わか子さんは産後2ヶ月で仕事復帰をしています。

また、政治活動を始める際にも、親子で大変お世話になったそうです。

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矢田わか子の息子の年齢(生年月日)は?

矢田わか子の息子、2023年誕生日2023年:矢田わか子さんの息子の誕生日

矢田わか子さんの息子さんの生年月日については、先述した通り、

矢田わか子さんが2002年に出産されていることが判明しているので、2002年生まれです。

そして、矢田わか子さんのインスタグラムで下のようなコメントを見つけました。

矢田わか子のInstagramコメント

この投稿は2022年4月2日のもので、

『来月20歳になる』とのことから息子さんは5月生まれであることがわかります。

つまり、息子さんの生年月日は2002年の5月生まれということですね。

2023年に21歳を迎えたけいたろうさんは現在、大学生だそうです。

尚、誕生日」については現在調査中ですが、矢田わか子さんの2023年5月7日のインスタグラムの投稿では、

『やっと家族がそろい、息子の誕生日会』という記載がありましたので、

もしかすると誕生日は5月7日、もしくはその前後の日ではないかと推測されます。

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矢田わか子は息子にユニークな教育をしていた!

国会議員として忙しい日々を送っていた矢田わか子さんですが、息子さんにはどのような教育をしていたのでしょうか。

矢田わか子さんの息子さんへの教育方針について調べてみたところ、

ユニークな考えを持って息子さんに関わっていたようです。

以下のエピソードの数々は、矢田わか子さんへのインタビュー記事からの抜粋によるものです。

  • 私たち親子はたぶん、他の家庭と比べたら一緒にいる時間は短いと思うんです。でも、向き合ってる時は「濃密な時間」を持つ、しっかり会話するということを大事にしてきました。これは政治家になる前から続けてきたことです。あとは、やっぱり食事はできるだけ自分が作る、ということです。
  • 息子が保育園のときから「自分の食いぶちは自分で稼げ」というのが私の口癖でした。靴並べたら5円、ゴミ捨ては10円…というようにお手伝いをしたらお金をもらえるという仕組みを作っていましたね。
  • 「自分の人生は自分のもの。お母さんはいつまでもあなたのこと見られないから」とよく言っていましたね。だから、我が息子ながら自立していると思います。「賢い子」とかじゃなくて「自分で生きる力のある子」にしたかったんです。
  • 基本的には一個人として接してきました。

引用元:東京すくすく

これらのエピソードからわかるように、

矢田わか子さんは息子さんに対して「自立した人になってほしい」という思いが強かったようですね。

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